下戸の超然
絲山秋子さんの「妻の超然」を読んだ。
短編集のような感じで、その中の「下戸の超然」を読んで、気持ちにかなりぴったりとはまった。
最初、主人公の彼女の自分の世界の押し付け感が鬱陶しく感じたけど、だんだん、私自身もそういう感じあったよな、と思い返す。
昔、夫が自分のこだわりを押し通し私の意見を受け付けてくれないように感じたことがあった。
その時はまだ今みたいに気持ちが冷め切ってなかったので言い合いもした。
夫から、我慢して最初の頃は私のこだわりに付き合ってたけど、君は僕には付き合ってくれない、と言われた。
そう、夫だけが悪いわけではない、でも、そういった少しずつのズレを修正できるすべを持たない私たち夫婦は、今の状態にいたったわけで。
10年目に話しあって、夫も現状を変えたい、改善しよう、と思ってはくれたのかもしれない。
でも、夫婦の定義やコミュニケーション手段が違うという根本の違いに気がつくほどには、夫は掘り下げて考えてはくれなかった。
夫の収入で子ども最優先で生活している私が言うのは現実的ではないけれど、もし、私が自分だけで家を出ると言ったら、夫はどう言うだろう?
「その背中に、ちょっと待てよ、と僕は言えない。
変わるよ、改めるよ、なんでも努力してみるよ、と僕は言えない。」
これは、彼女が去って行く時の、「下戸の超然」の主人公の心の中の台詞。
主人公は、彼女に自分に合わせるために我慢をさせるのは嫌だと思っているし、自分も彼女に合わせることで自分が我慢するのも何か違うと思っている。
きっと、夫も同じように、私を無言で見送るのかな。
小説の中の主人公が夫にかぶってしまい、色々納得してしまった。