いつか飛び立つ日のために
久々ブログ。
どれくらい書いてないかと前回を確認したら、5ヶ月前。
思ったより最近だった。
前回、前々回を見ると、ついに夫も現状に馴染んできたのか、落ち着いたのかも。
私と同様に、最近は、子どもに話しかける中に私への伝達事項を混ぜ込んでくるようになった。
彼は男であることをついに手放した、というか、彼にとって楽な方へ流れていった様子。
羞恥心というものを忘れ去ったらしい。
音を立てて食事をしたり、お手洗いの床を汚したまま放置したり。
指摘するのも嫌だったけれど、私が生理的に気持ち悪すぎて指摘した。
そんなこと指摘されたら、私なら家族からでも恥ずかしくてたまらない。
でも、彼の反応から羞恥は感じられない。
判断力を失ってしまった高齢の人の中には、こういう感じで羞恥を感じなくなる人もいらっしゃるだろうか。
平均寿命まで半分近くあるのに、もはや老後なのか。
それも後期の老後。
もう指摘しません。
なくしてしまったものは変わることはないから。
私の予定ではこんな老後生活もあと10年ほど。
私物は増やさない。
物を捨てられないたちだけれど、思いついた時には物も少しずつでも捨てていこう。
運動量も美容院に行く頻度も増やした。
心身ともに自分を保とう。
そして、時がきたら身軽に飛び立とう。