無
最初の10年は、毎日が過ぎていくことへの焦りと、つらさ。
夫と話し合った後は、過ぎた日への悔しさと、その一点に関してはたいした変化もなく努力してくれることはない夫への怒り。
夫への関心がなくなった後は、毎日をただ過ぎていかせることでやり過ごすむなしさと、結婚する前の若くて先が読めなかった自分の浅さへの羞恥心。
昨日ふと思った。
私は子どもを置いて出て行くようなことはしない。
知れば子どもが傷つくのがわかっていて、一時的なものであろうが、長く続くようなものであろうが、他の人に寄りかかるようなことは、きっとしないだろう。
でも、結局のところ私はやっぱり悔しいのだ。
じゃなきゃ、ブログなんて書かない。
毎日悔しい気持ちを抱えて過ごしていても、心が消耗するだけ。
子どもが成長するまでは現状を変えることはない。
なら、悔しがることすら無駄では。
そう思ったら、気持ちが無になった。
夫の顔を見たくない。
夫の後ろ姿も見たくない。
夫の声を聞きたくない。
夫の寝息も聞きたくない。
夫の生活音も聞きたくない。
夫の気配を感じたくない。
でも、生活させてもらってる。
ありがとう。